声門閉鎖術の概要(患者家族のご理解のために)
声門閉鎖術は、約20年前に当時福島県立医大耳鼻咽喉科助教授鹿野真人先生に、当院の院長であった木田雅彦が重症の誤嚥患者の治療をお願いしたことから、鹿野先生が考案し改良を加えて完成した術式です。現在では誤嚥の外科治療の一つとして広く認められています。
声門閉鎖術は、手術侵襲が少なく合併症も少ないのが特徴です。よって体力の低下した高齢者でも受けられる手術です。欠点は、発声能力が完全に失われることであり生涯再建もできない点です。この欠点ゆえに、他の誤嚥防止術の適応はないのか、ない場合は命かADLか何を大切にするかを患者自身や家族に十分に考えて戴く必要があります。これは難しい問題ではありますが、声門閉鎖術によって吸痰の苦しみが軽減し生命予後がよくなるのも事実です。また、半数以上で気管カニューレが不要となり、吸痰介護の手間が著しく軽減され在宅療養も容易になる利点があります。以下にもう少し詳しく説明します。
誤嚥の防止には、種々の術式があります。古典的には声帯を閉じるだけの手術がありましたが、再離開して事故が起こることが多く、その後は適応されていません。標準的には喉頭気管分離術があり、全身状態や嚥下機能が回復した際は分離した部位を戻すことにより、再度発声することが可能とされています。しかしながら、実際のところほとんどの対象者は戻すことができず、発声できないままであることが報告されています。さらに、重大な晩期合併症として気管動脈瘻が発生して大出血を起こして死亡する危険もあります。この合併症は、気管切開後に長期に気管カニューレを使用することでも発症します。
そこで、鹿野先生は手術侵襲も少なく再離開のない安全な術式を開発しました。この術式では声帯を上下に半切してそれぞれに左右を縫合します。そして上片と下片の間の空所に筋弁を詰めることによって再離開を防いでいます。この手術では手術創が完治した後は気管カニューレが不要になることがあります。特に男性では気管が太く壁が丈夫であるため、多くの場合に不要となります。女性では半数くらいでしょうか。また気管孔が大きいため、気管の内空が観察でき痰詰りを視認できます。また、たとえ気管カニューレが必要でも専門医以外にも交換が安全にできます。さらに、柔軟性がありカーブのないシリコン製の気管カニューレを使用することもできるため、気管動脈瘻の発症が起こりにくくなります。
声門閉鎖術は高齢者の誤嚥防止の目的に開発されましたが、小児の嚥下障害にも非常に有効です。諸外国では、宗教観や人生観の違いから誤嚥のある高齢者を積極的に治療することは少ないようです。日本と比べると寝たきり高齢者も非常に少ないとのことです。よって、高齢者医療における声門閉鎖術の有用性については外国ではなかなか認められないのが現状です。当院でもかつて、手術を受けた患者の予後について海外誌に論文を提出したことがありますが、高齢者への適応が何のために必要なのかわからないとのコメントでリジェクトとされたことがありました。
しかしながら、本邦では高齢者に手厚い治療を望まれる家族は少なくありません。痰が詰まりゲホゲホしている患者さんを見て家族のみならずお世話をする医療従事者も何らかの手当を望みます。そこで当院ではそのようなご家族には積極的に声門閉鎖術をお勧めしてまいりました。その結果、これまでに200例を超える患者さんの術後ケアを経験しました。それではどのような方に手術適応があり、手術後の経過と予後がどのようなものかについて当院のデータに基づいて説明します。
声門閉鎖術は、意識が明瞭で認知症がない患者さんには一次的には適応がありません。ただし嚥下改善治療などを受けてもどうしても誤嚥がひどい場合やすでに中等度以上の誤嚥性肺炎を何度も繰り返す場合には適応があると考えます。また、高齢や認知症で嚥下改善リハビリテーションなどの治療が受けられない場合で誤嚥性肺炎を繰り返すときにも適応があると考えます。繰り返しますが、声門閉鎖術は発声能力を失いますので、会話能力と病状を十分に勘案して適応を決める必要があります。なお声門閉鎖術を受けるには、良好な創治癒を得るためにAlb値が2g/dl以上であることが望ましいとされています。また当院での長期観察の結果では、高度の慢性尿路感染を有する患者さんは声門閉鎖術を受けても、急性腎盂腎炎から敗血症を発症して死亡されることが多く予後が改善されません。この場合は、ご家族に予後を十分に説明した後にも声門閉鎖術を希望された場合のみ適応ありとしています。
手術は、主に大原総合病院耳鼻咽喉科の鹿野先生と、一部福島県立医大耳鼻咽喉科の今泉先生にお願いしております。患者の状況によりますが、1週間から3週間ほど手術を受けた病院に入院していただき、それから当院へ戻っていただきます。創部が治癒して抜糸できる状態になるまで1から2週間かかります。その後は、創部が落ち着くまでは気管壁に多量の痰が付着し、しばしば固化して呼吸困難が起こり易い時期です。この時期には気道のケアと頻回の吸痰が必須であり入院の継続が必要です。この時期を過ぎて数か月たつと気道が安定して痰の量も減少します。手術前の誤嚥性肺炎による肺実質の器質化が軽度であるほど排痰量は減少して、1日数回程度の吸痰で済むようになります。その結果、在宅療養も可能となります。頻回の吸痰で介護者が眠れずに疲労困憊することは珍しくはありません。療養が長くなると気管が乾燥しますが、その場合は一時的に気管カニューレを再挿入したり、加湿したりすることで改善できます。
誤嚥の原因には、神経変性疾患で起こる球麻痺と脳卒中で起こる仮性球麻痺があります。球麻痺は嚥下障害がだんだんと進行します。神経変性疾患であるパーキンソン病の場合は、嚥下障害が高度に進行すると唾液でさえ誤嚥が起こり、手術以外では治療法がない状態となります。それに対し、脳卒中の場合は、重症であれば発症とともに嚥下障害になりますが、遅れて嚥下障害が発症することもあります。この場合、段階的に悪化するというよりはわりと急激に嚥下障害に至ることが多いようです。しかし、摂食能力が障害されていない場合もあり、声門閉鎖術によって経口摂取が再開できる場合があります。
声門閉鎖を受けた患者さんの予後は、もちろん手術時年齢の余命に依存しますが、持病のためそれよりは短いようです。しかし中には、60代後半で手術を受けたパーキンソン病の男性患者さんが80代半ばまで生存された例もあります。当院では誤嚥性肺炎を繰り返す場合、ほぼ2年以内に全員死亡されましたが、手術を受けた場合は、2年生存率が脳血管障害(脳卒中)では41.2%、神経変性疾患では53.4%でした。死亡原因の大多数は前述のように尿路感染症の重篤化です。ごく少数で胆道感染症や重篤な誤嚥性肺炎が器質化した部位から再燃した例などがありました。
最後に、現在では声門閉鎖術や類似の手術が全国の多くの施設で行われています。都市部ならどこでも受けられると思いますが、声を失いますので十分に適応があるか否かを医師にお尋ねください。納得して受けて戴ければ、患者本人の快適な療養生活と生命予後の延長、そして介護負担の軽減が得られると思います。(2022年10月、文責 木田雅彦)
コメント