【福寿こらむ】私の趣味《4》

 

福島寿光会病院名誉院長 木田雅彦

【福寿こらむ】私の趣味《1》

【福寿こらむ】私の趣味《2》

【福寿こらむ】私の趣味《3》

 高校の終わりごろ囲碁を覚えた。大学に進学すると囲碁部に入った。新潟大学は囲碁大学選手権の北信越ブロックに所属していた。北信越ブロックには他に福井大学、金沢大学、富山大学、信州大学が所属しており、地理的要因から競技会は富山で開催されていた。当時の北信越ブロックは全国でも非常に弱かったが、新潟大学はその中でも一番弱かった。それは、他大学は全学の囲碁クラブであるのに対し、新潟大学では医学部だけの囲碁クラブであったからである。

 囲碁部に入部したばかりの5月に北信越大会が開催された。この大会は5人制のリーグ戦であった。先輩からメンバーが揃わないからお前も参加しろと言われた。まだ級のレベルで置き碁ばかりなので、互先の碁など打ったことがなかった。先輩に打ち方を尋ねると、相手のまねをして対称に打てとのことであった。相手は5・6段の力量があり、程なくマネ碁に気付き意味のないところに打たれた。そこからは仕方がないので自分で考えて打ったが、すぐに弱いことがばれてしまった。隣の先輩に投了の許可を得られてほっとしたことを覚えている。相手には失礼なことをした。

 20年くらい前の先輩は非常に強く、新潟大学が北信越で優勝して全国大会に出場したこともあった。しかし、私が入部した当時は部員も少ない弱小クラブであり大会でいつも負けていた。それが悔しくて私が部長になってからは、歯学部の強い学生にも医学部の囲碁クラブに参加してもらうようになった。しかし在学中には優勝ができなかった。それでもあきらめず大学院に進学しても囲碁部に通っていた。そこで、院生崩れの方が歯学部にいることを知り、拝み倒して試合に参加してもらった。果たして北信越ブロックでの優勝ができた。

 どこにも碁きちはいるもので、赴任先でも月1回プロの先生をお呼びして指導を受ける教員のサークルがあった。そのころには4段になっていたがプロの先生にはコテンパンにされた。その後に赴任した土地では、6段の囲碁指導士が経営する飲み屋に頻回に通い碁を打った。その地では、毎年囲碁フェステバルが開催され、小川誠子先生にも打って戴いた。また二次会では、苑田勇一先生が一興と言って、今村俊也先生に互先で挑戦させて頂いたが、当然ではあるが10手も打たないうちに「お前の負け」との苑田先生の判定が出た。福島では病院近くの碁会所に通っているが、4段から上達できていない。

(次回に続く)

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