福島寿光会病院

【福寿こらむ】私の趣味《終わりに変えて》

      2023/05/01

 

福島寿光会病院名誉院長 木田雅彦

【福寿こらむ】私の趣味《1》

【福寿こらむ】私の趣味《2》

【福寿こらむ】私の趣味《3》

【福寿こらむ】私の趣味《4》

 福島寿光会病院は2001年7月1日の開院であり、私は2002年8月に着任した。当時は、開院したばかりで、院内に何らの委員会も設置されていなかった。周囲の病院からは様子伺いと思われるが死期の近い患者さんや手の施しようのない患者さんばかり送られてきた。また、赴任当時は働く意欲の少ない看護師が多かった。このような状態ではいけないと思い昼夜なく働いた。厳しい指導についてこれない職員も多かったが、残って頑張ってくれた職員もいた。それらの職員と協力して病院のレベルアップのため、研修会や学会に頻繁に参加し、また患者さんが気分よく療養していただけるように環境整備を行うことにした。

 当時は常勤医師が私一人で日常業務は大変に忙しかったが、殺風景な病院を改善するため、環境整備委員会を立ち上げた。環境整備の主な内容は、病室の整理整頓、清掃、玄関外の花壇作成であった。病室の環境整備は看護師や看護助手にお願いした。私は毎朝玄関外の掃き掃除をした。また園芸好きの玉坂看護師と、検査技師の芳賀君の協力を得て、プランターでの花の育成を開始した。私の趣味が再開した瞬間である。忙しい中での土いじりは気分転換にもなった。

 屋上で育てて花が咲くころになると玄関前に並べる。それで、春から秋まで花がいっぱいの状態を維持できた。患者さんや家族さんが「きれいですね。」と言ってくれるのが何よりも嬉しかった。少数ではあったが、やくやく見学に来る方や写真を撮る方もいた。それで、福島市の認定ガーデンに申請して、毎年工夫を凝らした。玄関前ガーデンのメインとして水瓶を置いて金魚を飼い、その脇にクレマチスの鉢を置いた。毎年、八重の大輪が咲いた。私はその光景が一番気に入っていた。金魚は今では20㎝ほどに成長して、通りすがりの子供たちが覗いていくようになった。芝桜は、プランターを3段に並べ実に見事な出来栄えであったと自負している。残念ながら、今では半分以上が枯れてしまった。

 その原因は、2018年に私が大病を得て、花の世話ができなくなったからである。植え替えもできずプランターの草取りもできなかった。玄関前のプランターにも草が生い茂り、だらしない状態となった。仕方ないのでプランターはすべて仕舞った。その後もあまり病状は改善せず、2020年春には院長職も引退した。忙しく大変であったが地域医療に貢献でき充実した20年間であった。

(完)

 

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